誕生までの歴史(1)


由緒ある土地柄の東大阪市

生駒山麓から河内平野に広がる東大阪市は、大阪府のほぼ中央部大阪市の東側に位置し、集落としての東大阪市の歴史は非常に古く、数千年前とも数万年前ともいえる先土器時代から縄文、弥生、古墳時代にいたるまでの遺跡、遺物が多種にわたって発掘されています。

当団地周辺の地形は、江戸時代、河内平野を南北に流れ、毎年のように氾濫していた大和川の流れを柏原のところから堺の方へ付替えが行われ、その結果、旧川床や池床が干拓され広大な敷地ができ、その地床を新田として開発を行った地域で、もともと湿地帯であったため米作には向かず、木綿(いわゆる「河内木綿」)の作付けが中心でレンコンの栽培も行われていました。

大阪の中心、船場に近いという地の利があり、木綿を加工するための小規模の工場が発展していました。明治以降は、交通機関の発達とともに、セルロイド、マッチ、金網などの軽工業が進出し、地場産業として定着しました。
戦時体制化では、軍需産業に転換したところも多かったようですが、残された技術が現在の生産機械のための機械作りやその部品作りの原動力になっています。

旧鴻池新田会所

新田開発を行ったのは大阪の豪商鴻池家三代目の善右衛門宗利で、当団地最寄り駅のJP学研都市線「鴻池新田」駅の近くには鴻池新田の管理事務所としての「旧鴻池新田会所」がそのまま現存し、日本の重要文化財として指定され、郷土資料館として一般に公開されています。